神戸大学大学院海事科学研究科の岩田高志助教と早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構の赤松友成研究院教授は、海洋生物に記録計を装着する「バイオロギング」を活用し、人類が直面している様々な海洋の課題解決に貢献できる可能性を示しました。バイオロギングは、動物の行動やその周辺環境を調べる観測手法であり、海洋温暖化、海洋ごみ、化学汚染、漁業による混獲、海洋保護区の管理など、多岐にわたる課題への応用が期待されています。海洋動物による観測では、従来の観測技術では困難だった海氷下や荒天時のデータを収集できる特徴があります。バイオロギングと従来の海洋観測手法を組み合わせることで、科学的根拠に基づく海洋管理政策の立案に貢献できます。また、本研究では、バイオロギングデータをネットワークを通じて活用する「Internet of Animals (IoA)」の展望についても議論し、海洋モニタリングの未来像を提示しました。この研究成果は、3月7日に『Water Biology and Security』にレビュー論文として掲載されました。
ポイント
- バイオロギングを応用し、動物を通じて海洋環境をモニタリングすることで、従来の観測手法では得られない海洋におけるさまざまな情報を提供することができる。
- バイオロギングと従来の海洋観測手法を組み合わせることで、海洋課題の解決に向けた政策の立案に貢献できる。
- バイオロギング機器を装着した動物からネットワークを介して情報を取得する「Internet of Animals (IoA)」の将来が期待される。
研究の背景と内容
人類は現在、海洋温暖化、海洋ごみ、化学汚染、人工騒音、漁業との競合など、さまざまな海洋課題に直面しています。これらの課題解決のため、調査船、漂流ブイ、リモートセンシングなどを用いた海洋観測が行われていますが、技術的・経済的な制約により観測の空白地帯が存在しているのが現状あり、解決には新しい技術が求められています。
バイオロギング
※1は、動物に記録計を装着し、動物の行動やその周辺環境を計測する手法です。バイオロギングは海洋動物の行動生態研究にとどまらず、海洋観測の新たなプラットフォームとして、海洋の課題解決に役立つ可能性が示されています。この手法は、座標系の中で動物が移動しながら観測を行うラグランジュ型の観測手法です。バイオロギングを用いた海洋観測の長所として、i) 水平方向および鉛直方向に広がりを持つ3次元データ、ii) 時空間的に個体に着目した連続したデータ、iii) 海氷下や荒天時など人(船舶)が立ち入れない環境のデータを取得できる点が挙げられます。一方で、i) 観測範囲が動物の行動に依存し選択できない、ii) 長期的な継続調査が少ない、iii) 装着できる動物個体数が限られるため取得データが限定的である、といった短所も存在します(表1)。これらの長所と短所を踏まえ、バイオロギングを活用した海洋観測が、海洋温暖化のモニタリング、気象予測、海洋ごみや化学汚染の把握、人工騒音の影響評価、漁業による混獲問題、海洋保護区の管理、海洋高次捕食者の生息地に対する人為的攪乱の評価など、さまざまな海洋課題の解決に貢献できる事例を本研究では紹介しています(図1)。
バイオロギング単独では海洋課題の解決に不十分ではありますが、調査船や漂流ブイなどの他のラグランジュ型の観測プラットフォームや、座標系を固定し観測データを地図上に可視化するオイラー型の観測手法であるリモートセンシングなどと補完的に組み合わせることで、既存の知識の空白を埋めることができると考えています。
政策提言
海洋には、アクセスできない地域や季節があるため、データの利用可能性が限られ、科学的根拠に基づいた政策決定が妨げられています。バイオロギングは新しいタイプの海洋データを取得するための手法となり、従来の観測手法と組み合わせることで、さまざまな海洋の課題解決に貢献できます。ここでは、バイオロギング(ラグランジュ型)およびオイラー型の観測手法におけるデータ利用可能性に基づいた、ケーススタディを紹介します。今後の海洋政策を策定するために、バイオロギング手法を使用する以下の戦略を提案します。
【ケース1:バイオロギングデータ利用可、オイラー型データ利用不可のとき】
バイオロギングは、人為的影響をどのように評価できるかを判断するのに役立ちます。すでに人為的活動の影響を受けている地域でバイオロギングデータが利用可能な場合、洋上風力発電による騒音分布、海底鉱物採掘活動、極域の海氷分布、海面水温などの影響因子に関するオイラー的マッピングデータと組み合わせることが有効です。これらの影響因子は、音の伝播モデル、スキャニングソナー、リモートセンシングを用いてマップ上に可視化できます。バイオロギングデータ単独では、個々の動物の行動変化の因果関係を明らかにすることはできませんが、位置情報と関連付けたバイオロギングデータを影響因子マップと比較して分析することで、因果関係を特定するのに役立ちます。
【ケース2:バイオロギングデータ利用不可、オイラー型データ利用可のとき】
Global Fishing Watch
※2は、漁業活動のデータを提供し、貴重なオイラー的データとして活用されています。捕食者や被食者のバイオロギングデータが利用可能であれば、水産資源の収穫がそれらの分布に与える影響を評価できます。動物が受けるさまざまな影響の結果として、繁殖成功の低下や生息地の放棄などが生じる場合があり、これらの評価にはバイオロギングアプローチが必要となります。また、オイラー的データは影響要因を地図上に可視化できるため、バイオロギング情報と組み合わせることで、動物の動きを考慮した、影響要因の最小化を提案できます。
【ケース3:バイオロギングデータ、オイラー型データどちらも利用可のとき】
このような状況は、今後、多くの政府によるオープンデータ政策の推進によって、より一般的になります。しかし、データを単に蓄積するだけでは、解決策にはつながらず、学際的な分析が不可欠です。そのためには、テーマごとの研究ではなく、課題解決型の研究が求められます。科学者は複数のデータベースを統合し、効果的な組み合わせを特定する必要があります。人工知能による支援を受けたビッグデータ解析は、これらの課題を解決するための重要なツールです。また、科学的データと知識を活用して解決策を見出すことを目的とした、新しいタイプの人材育成が不可欠となります。
今後の展開
本研究で紹介したバイオロギングの応用例は、他の手法と組み合わせることで、海洋課題の解決に大きな可能性を示しています。学際的な分析を進めるためには、データのアーカイブ化と包括的な分析が不可欠です。バイオロギングのデータはデジタルで保存されるため、アーカイブ化に適しています。近年、「Internet of Animals(IoA)」という言葉が、「Internet of Things(IoT)」の派生語として使われています。IoAでは、バイオロギングデバイスを通じて、リアルタイムデータやオンラインデータベースに蓄積されたデータなど、多様な情報をネットワーク経由で取得します(図3)。IoAの発展には、オープンデータの利用が不可欠です。しかし、バイオロギングデバイスは多種多様であり、記録フォーマット、測定パラメータ、サンプリング間隔、単位といったデータ標準化の面で課題がありました。また、データを最適に活用するためには、定性的な動物の行動データを定量的な物理データへ変換する必要がありました。そこで、さまざまなパラメータを登録し、データ解析機能を備えた「Biologging Intelligent Platform(BiP: https://www.bip-earth.com/)」が開発され、データの標準化や動物の行動データを物理的な環境データへと変換する仕組みが開発されました(Watanabe et al., 2023)。IoAを促進するためには、既存のデータベース間の協力を強化し、データ共有システムを構築することが求められます。これが実現すれば、学際的な研究が進展し、データの価値や活用範囲の飛躍的な向上が期待できます。
用語解説
※1 バイオロギング
バイオロギングという言葉は、2003年に東京で開催された第一回国際バイオロギングシンポジウムで生まれた。これは、直接観察が難しい動物にカメラや記録計などを装着し、その行動や周辺環境を計測する手法である。装着する機器の総重量は、対象動物の体重の3%以下に抑えることで、影響を最小限にするよう配慮されている。実際に、大型の動物であるウミガメやアザラシでは、装着重量は体重の1%以下に抑えられている。また、装置が小型であるほど動物への負担が少ないため、現在も多くの研究者がより小型の装置の開発に取り組んでいる。
※2 Global Fishing Watch
漁船が発する信号から位置や操業状況の特定をし、地図上に可視化するシステム。情報は、Global Fishing Watchのウェブサイト上で公開されている。
図及び解説
図1 海洋観測プラットフォームの特徴
白丸は長所、黒丸は短所を示す。
© T. Iwata et al., Water Biology and Security 2005 (DOI: 10.1016/j.watbs.2025.100383) (CC BY)
図2 海洋観測プラットフォーム、観測の対象や特徴、観測される課題の関係を示した概念図
“プラットフォーム”から“観測の対象や特徴”の線の太さは一定であり、各プラットフォームに適切なセンサーが搭載されていれば観測が可能であることを示している。一方、“観測の対象や特徴”から“観測される課題”への矢印の太さは、各観測対象の貢献度に応じて変化している。観測される課題の多くは、複数の観測対象の測定を必要とするため、単一の海洋観測プラットフォームだけでは対応が難しい。バイオロギングは、ラグランジュ型プラットフォームとしての特性と自律的な移動能力を持ち、他のプラットフォームではカバーできない観測対象を提供できる点が特徴である。© T. Iwata et al., Water Biology and Security 2005 (DOI: 10.1016/j.watbs.2025.100383) (CC BY)
図3 Internet of Animals(IoA)のイメージ
© IWATA Takashi (CC BY)